8月28日(月)
■ロバート・パットナム著『孤独なボウリング』の読破に挑戦 国会が閉会して2ヶ月以上経過する。今年の夏はそれだけ時間の余裕があったわけで、思い切って海外に出かけたり、日ごろ読みたいと思っていても、時間がなくて読めなかった本を読むことにした。そうした中で、アメリカの政治学者であるロバートDパットナムハーバード大学教授の書かれた『孤独なボウリング』という本文だけで500ページを越す大著に挑戦した。 この本を読むきっかけは、最近つとに注目度が高いソーシャルキャピタル=「社会関係資本」について調べているときに出会ったパットナム氏の同じ題名の論文が目に付いていたし、何よりも日本で2001年に翻訳された『哲学する民主主義』というイタリアの地方制度改革によって成立した州制度において、各州の持つ違いの背景に、それぞれの地域における「市民性」の違い、「市民共同体」の発達程度の違いがあることを論証したものを読んでいたことがある。経済の発展している北部地域においては市民共同体のつながりの深さが、各種のスポーツチームのクラブ組織率だとか新聞の購読率や選挙での投票率の高さなどと見事に関連しているのに対して、市民共同体のつながりの弱い南部地域においては、地域のボス支配が依然として残る中で、経済的にも停滞したままになっており、イタリアにおける「南北格差」の背景には、このような『社会関係資本』の一つである、市民共同体の発展が強く関係している事を知ることができ、このような分析が日本やアメリカではどうなのか、是非とも分析してもらいたいものだと思い続けていた。今回の『孤独なボウリング』という大著はまさに『哲学する民主主義』の続編であり、そのアメリカ版でもある。 ■1970年代に社会関係資本の低下はなぜ生じたのか パットナム氏はアメリカ政治学会会長をされた著名人で、『孤独なボウリング』をかかれた過程で、大衆誌『ピープル』にも取り上げられるほどに全米中で有名になり、クリントン大統領に招かれたこともあるほどである。それだけに、この本で書かれている実証分析については、読むものをしてなぜこんなにも大きくアメリカの社会は変貌していくのだろうか、何がアメリカ社会のコミュニティの崩壊をもたらしているのだろうか、と考えさせられる。コミュニティの崩壊と書いたが、市民的なつながりの大きな低下とも言える出来事が歴史的、地域的に分析されている。とくに政治参加では投票率の低下や政治活動への参加の落ち込み、市民参加ではPTAや各種市民組織の組織率の低下をはじめ、労働組合の組織率の低下や宗教活動への参加の落ち込みなど、日本においても共通して見られる出来事が各種調査から実証されている。他方でインターネットの拡大や一部社会運動の面での拡大が見られるものの、総じて1970年ごろを境として社会関係資本の急速な減少が生じているのだ。では何故このような社会関係資本の落ち込みが進んできたのか、パットナム氏の分析に依れば、第一に世代的な変化、第二にテレビなどの影響と余暇時間の変化、第三、第四として時間と金銭面のプレッシャー、とくに共稼ぎ化による変化、そして郊外化、スプロールと通勤時間を上げている。このような変化の要因は日本でも共通して見られる現象でもあり、なぜ日本でもかつての1960~70年ごろまでの学生運動をはじめ労働運動や革新自治体作りの前進などが見られたのに、70年代の半ば以降急速に停滞していく背景が、ここに指摘されることに符節があっていると思われる。 ■求められる地域の市民活動への参加体制強化 かくして社会関係資本の充実・強化に向けて、今後の課題として打ち出されているのが地域の市民参加の活動の強化である。子供たちの課外活動の参加をどうしたら高めることができるのか、インターネットをどのように活用すれば、青年たちの社会参加が勝ち取れるのか、労働現場でも大きな変化が生じているが、職場が家族へのやさしさとコミュニティとの親和性を大きく高める方策を探るべきであり、街づくりにあたっては通勤時間を短縮し、友人とのさりげない社交が促進されるようにしていくべきだし、信仰の世界でも、これまで以上に意義のある精神的コミュニティに深くかかわるように、また同時に他の人々の信仰と実践に対して寛容になるようにすべきことを主張されている。さらに、政治において国民がより多くの公共生活への参加(集会への参加、委員を務め、選挙運動を行い、投票に参加する)できるようにしなければならない、としている。 総じて現状の分析に対して、対処すべき方策がやや抽象的過ぎる嫌いはあるものの、的確な問題提起といえよう。日本にとっても同じような課題が求められているのだと思う。
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