10月31日(月)
第540号 2005年10月31日
□長かった国会、でも休んでいられない いよいよ今週の火曜日で特別国会は終了する。率直に言って、今年の1月21日に始まった国会は8月13日まで延長され、8月8日、郵政改革法案が参議院で否決されたことを受けて衆議院の解散・総選挙、そして特別国会の召集と、休むことなく連続した戦いに明け暮れ、やや疲労感が強まる今日この頃である。 とりわけ、解散・総選挙で民主党が大きく議席を失い、敗北しただけによけい疲労感が強いのだろう。でも、われわれや党にとって国会が開かれているからこそ国会で政府を追及ができるわけで、31日にも予定されている内閣改造が済めば、直ちに臨時国会を要求していく必要があることはいうまでもない。なぜなら、新しい内閣によって来年度予算が編成されるわけで、新大臣の所信を聞くことなく予算編成に入ること自体が、国民に対する説明責任を立法府が果たしたことにならないからである。
□小泉総理に楯突く者は誰もいなくなった自民党 それにしても総選挙の結果を受けて小泉首相に対する異論が自民党内から殆ど聞くことがなくなってきた。それどころか、たとえばこれまで国会のことについては立法府にお任せする、として自民党の総裁としての責任を、たとえば政治と金の問題など逃げていたのに、議員年金問題などでは与党側が廃止ではなく削減で済まそうとしたことに対して、「廃止すべきだ」と、鶴の一声で廃止の方針に切り替えさせたり、27日に開催された経済財政諮問会議では、政府系金融機関の統廃合問題で大胆な改革を唱える民間の委員に対して、省庁の利害を守るような立場で異論めいた発言をした谷垣財務大臣や中川経済産業大臣に対して叱責するなど、まことに小泉独裁政権が樹立されたのではないか、と思われる異様な状況に立ち至っている。 今後、大きな問題の一つとなるのが医療改革であるが、国民全体の立場から離れた既得権を擁護するような、たとえば日本医師会や製薬メーカーなどの立場を代弁するような族議員の動きが出てくると、改革に抵抗する政治勢力として排除されることを恐れるあまり、本来的な生活者の立場に立脚した正しい問題点の指摘や、きちんとした反論すらできなくなる危険性を感ずる今日この頃である。あの抵抗勢力の象徴のように思われてきた道路特定財源問題でも、自民党の道路族のドンと言われた古賀道路調査会長が「いつまでも聖域扱いはできない」などと発言される始末なのである。
□自民党は本当に変われるのか はたしてこのような小泉自民党の改革は本当に続いていくのだろうか。自民党内にはさまざまな利害を抱えた国会議員の集団が形成されており、それらの利害に対して鋭くメスを入れ続けていけることが、小泉首相が退陣する来年9月までに本当にできるのかどうか、疑問ではある。 ただ、今度の総選挙は、94年に改革された小選挙区制度の導入と政党本位の政治活動への転換によって、小泉総理のリーダーシップのもとで郵政民営化推進政策と候補者全体が一体となった選挙戦を展開し、それに抵抗したものに対しては党内から排除し、「首相候補・政党・政策が一体になった」改革の姿勢に、都市部を中心に国民の支持が集まったのであろう。
□1955年体制から2005年体制へ これに対して民主党がどのように党の態勢を立て直していくことができるのか、が問われているのだと思う。総理大臣候補としての代表と、自民党との対立軸をきちんと示しうる骨太な政策と、それを民主党全体が国会の内外で訴え、広げていくことができるようなマネージメント能力こそが求められているのだと思う。 このような展開が進めば、1993年の細川内閣の成立以来始まった1955年体制が終焉し、10年以上の長い過渡期を経て2005年体制と呼んで良いような構造ができつつあると予感している。まだ、未完成なのかもしれないが、政党政治の成熟した姿が出始めているように思える。もちろん、党内での自由闊達な論議が封じ込められるようなものであってはならないことはいうまでもない。小泉自民党内の最近の状況はまさに異常であり、このような党内民主主義が不在の中では人材が育つはずがない。民主党こそが政権政党として、いち早く「代表・党・政策を一体とした闘う2005年体制」を作る必要がある。
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