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それは、第一に、12年前に当選したちょうどそのとき、バブル経済が崩壊し、それを救済するための経済政策として、これまで、実に100兆円を越す巨額な財政拡大政策をとってきたということです。この政策は、赤字国債の大量発行と地方自治体への大きな財政負担をともない、主として公共事業を湯水のごとく発注してきました。ほとんど効果の無いダムや港湾、使われない干拓地や農道空港などに税金が投入されたのです。こうしたことから、国の公共事業に依存するというモラルハザードや中央依存、官依存をはじめ、政官業の癒着の構造も露呈し、次の世代に対する膨大な借金をつけまわし、今日の財政危機を招く結果となっています。
単に財政だけではありません。なんと、日銀の金利をゼロにまで引き下げ、異常な財政・金融政策を展開してきたのです。しかし、バブル崩壊の結果、もっとも根本的な問題である不良債権問題については先送りを決め込み、大手企業に追い貸しする一方で、中小企業からは貸しはがしを強化し、やむなく倒産せざるをえなくさせてきたのです。今日に至るまでその傷を国民全体に背負わせ続けているのです。最近では、りそな銀行への2兆円の税金を投入したり、足利銀行の救済にもおそらくは1兆円を越す多額の税金が投入されることは必至です。健全であると認定し、98〜99年にかけて税金を投入していながら、再び税金を投入することになったその責任は大変重いものがあります。
いったい、誰がこの問題に責任をとったのでしょうか。官僚や業界はもちろん、無責任な政治がまかり通っているのです。この間、ほぼ一貫して政権を担ってきた自由民主党の政治は、国・地方の財政赤字が700兆円を越すに至った責任はもちろん、この解決の方途について、先の総選挙においても十分説得力のある具体的な政策を明らかにすることはありませんでした。
もちろん、この日本経済の財政・金融問題を、ネクストキャビネット・財務大臣も担いながら当選以来一貫して追及してきた私にとっても、その力不足を反省するとともに、「失われた10年」を「失われた20年」にしてはならないのであり、民主党こそが責任政党として政権を担い、バブルの大きな傷である不良債権とともに「政治の不良債権」も一掃しなければなりません。文字通り「責任ある政治」を展開していく必要があります。
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第二に、経済政策の失敗と平行して日本社会に漠然とした不安が徐々に強く広がり、公平さが失われ始めていることです。
かつて、日本の社会は、最も経済的な格差が少なく、失業率も低く、治安がきわめて良好な社会といわれてきました。ところが、最近では所得階層でも「勝ち組み」と「負け組み」とが2極化するとともに固定化し始め、中央と地方の格差も拡大し、公共事業以外に強い経済力を持たない北海道のような地域にとっては、企業倒産や失業率の拡大、新規学卒者の就職難などにより家庭や地域の崩壊はもとより、教育の荒廃も進み、凶悪犯罪が多発し犯罪の検挙率も大きく低下しているなど、社会不安が増大しています。
本来、しっかりしていなければならないはずの警察の中ですら多くの不祥事が露呈しており、いったい、どうしたら日本の社会の治安を回復できるのか、安心できる社会を取り戻せるのか、国民の不安が高まり将来の展望が失われています。
このような問題は、小泉内閣の進めるアメリカ型の市場経済万能主義の必然的な帰結に他ならないといえます。
このような問題を解決するためには、経済政策の大きな転換が必要であり、各分野で“排除されるものがいない”という公平さを追求していく必要があります。同時に、地域社会を構成するさまざまな団体や個人が、もう一度この国の現状を直視し、再び社会的連帯を取り戻し、中央集権官僚主導国家から地方自治体やNPOを含めた分権型社会を作り出し、男女共同参画型社会の構築やノーマライゼーションのさらなる推進を通じて、さまざまなバリアーを打ち壊すべく、より一層の情報公開を通じた透明度の高い民主主義をさらに豊富化していく必要があります。そうした上に立脚する政治に対しては、より一層の説明責任を求めていくことはいうまでもありません。
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第三は、いうまでもなく政治の改革であり、政権交代のある成熟した民主主義国家の確立の課題です。
初当選した1992年8月、佐川急便事件に関連して金丸疑惑が露呈し、自民党最大派閥の経世会が分裂し、その後の政界再編成の幕開けの序曲が奏でられたのです。以降、宮沢内閣の不信任から自民党の分裂、解散・総選挙の結果、1993年、はじめて自民党が下野し、細川政権・羽田政権と非自民政権が続くのですが、わずか9ヵ月間しか存続できず、村山政権の発足を通じて自民党が復権をし今日に至るまで自民党を中心にした連立政権が継続しています。
村山政権以降は、連立が当たり前となっていきましたが、今日もなお自民党が圧倒的多数を掌握する中での連立政権であり、政官業の癒着の構造は変革されるどころか、一度政権の座から転落をし悪夢を見ていた自民党にとって二度と政権の座から落ちないよう、ますますその構造に依存を強めていくこととなりました。そして、当時その腐敗・癒着ぶりと国民の批判がピークとされた森政権は、その支持率を大きく低下させ、このままでは自民党の政権からの転落は必至と思われた2001年4月、自民党総裁選挙で「自民党をぶち壊す」と絶叫した小泉純一郎氏を総理大臣に押し上げ、そのスローガンだけのマジックによって幻惑された国民の支持を一時的に高めたものの、そのマジックは多くの国民によって見破られつつあり、いま、支持を失いつつあります。いったい、政官業の癒着の構造はメスが入れられたのでしょうか。直近の問題では、道路公団の改革は実現されたのでしょうか。問題を官僚に丸投げし、族議員の跳梁跋扈を許しているのが今日の小泉内閣の実態なのではないでしょうか。
先の総選挙では、ようやく日本においても二大政党制への足がかりができ始めたといえましょう。民主党は、政権交代をめざし健闘したのですが、政権交代に至りませんでした。これからも、これなら民主党に任せても大丈夫だ、と国民のみなさんに評価していただけるよう全力をあげていく必要があります。 政策課題について、先の総選挙でマニフェストを打ち出しましたし、予算の代替案も示してきました。今後、デフレ経済からの脱却や少子高齢社会の下での持続可能で安心できる社会保障や地球環境問題はもとより、特に安全保障問題や外交では、イラク問題に象徴されるような憲法の原則を逸脱してまでアメリカのブッシュ政権に一方的に追随する今の政権のやり方ではなく、日米関係を重視しつつも、国連を中心にした集団的安全保障の枠組みを重視し、国際社会に対して国益をしっかり踏まえた主体的な外交を組み立てていく必要があります。
このように見てきただけでも大きな課題に直面しているといえます。世界の流れに目を転じてみると、今日の時代は大きな転換点にあたっていることがわかります。それは、いろいろな面で生じているわけで、主権国家がEUやNAFTA、ASEANなどに見られるようなリージョナル化(地域主義)と、もっと身近な生活のレベルで意思決定できる分権化へと動き始めています。経済に目を転じてみても重化学化工業を基軸にした産業化の進展から、人間の頭脳を中心にした知識・情報化社会へと大きく転換し始めています。それだけに、これからの時代において、経済はもとより外交・安全保障や教育・科学・文化など、どのように政治が構想し政策化していけばよいのか、責任あるリーダーシップが求められています。自民党の進めてきた経済成長のおこぼれを政官業の癒着構造の下で配分し、政策はすべてを官僚に丸投げしてきたような政治手法は通用しなくなっているのです。まさに「責任ある政治」が切実に求められているといえましょう。
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